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つながる集落白倉への経緯

小白倉集落大白倉集落とNCOOL新潟公務員法律専門学校の戸田ゼミの面々が新潟県が行っている「大学生の力を活かした集落活性化事業」に応募したことが始まりです。産物を消費者に知ってもれえたら皆が幸せという考えで「つながる集落白倉」にたどり着きました。

キャンパス白倉で合宿する新潟公務員法律専門学校戸田ゼミの学生

つながる集落「白倉」というこころみ

​ NCOOL新潟公務員法律専門学校で地方創生を研究する戸田ゼミでは、昨年から田舎の集落活性化のプラン、地方における女性活躍社会を創るプランの構築、コンテストなどに応募してきました。本年度からはプランのみにとどまらずフィールドに出て地域の人々と共にプランを具現化する試みを、新潟県の「大学生の力を活かした集落活性化事業」の中で行おうとして事業に応募しました。その中で米という産物を使い、集落活性化を行おうとしている白倉集落と知り合いました。フィールドで集落の方々と話し合いを持つ中で、作物のおいしさに驚き、集落の人々の暖かさやフレンドリーな気質に驚き、集落の季節ごとに移り行く景観に驚きと、驚きの連続でした。この集落の産物と都会の人々をつなげることができたら、この集落の人々と都会の人をつなげることができたら、この集落の景観を都会の人が知ることができたら、小白倉集落・大白倉集落・都市住民の全てがwinwinの関係になる。この確信がこのこころみの原点です。

​我々ゼミ生と集落の出会い

 十日町市川西地区の奥の奥。大白倉集落・小白倉集落。私たちは山に囲まれた、この集落の活性化策を考え提案する。暖かく、心優しい集落の人達と共に、サスティナブルな集落を創りたい。それが、私たちの気持ちである。


 7 月 26 日朝、新潟を出た私達は 11:00 に小千谷に到着した。それから約一時間、駅の待合室で待ち、12:20 発、私達は白倉集落へ向かう今日最初のバスに乗り込む。バスからの車窓の変化が激しい。街中の風景からだんだん田んぼが多くなり、さらには里山が見えてきた。そのうち、うっそうと木々が生い茂った中に小さな集落が点在する。どんどんバスが進み景色が別世界になっていくことに思わずはしゃいでしまった。何個も暗いトンネルを抜け、長い道路を走ると、終点の小白倉集落に着いた。バスを降りると、蝉しぐれが心地よいバックミュージックとして私たちを包んでくれた。近くに年季が入った(古きよき)建物が見える。それが、今回の拠点である旧白倉小学校の校舎を改修した宿泊施設、キャンパス白倉である。

 そこに荷物を置いた私たちは、廃校の事実に対する恐怖心と好奇心から校内を探検することにした。ここは絶対に出る!などと冗談をいいながら二階に上がろうとしたその時、ひとけがないはずの二階から「コツン、コツン」とこちらに向かってくる足音が聞こえた。逃げようと思い背中を向けようとした瞬間、人影が見えて思わず叫んでしまった。しかし、その人影はいわゆる“怖いもの”ではなかった。白倉集落の区長の田中さんという方で、私たちを迎えるためにわざわざ校内で待ってくれたのだ。区長の田中さんは温かく迎えてくれ学校の案内までしてくれた。

 その後、キャンパス白倉を後にして、集落探検に出かけた私たちは、素晴らしい景色に息をのむことになる。高台に建つキャンパス白倉をでてすぐ眼下に広がるのは、適度な間隔を置いて民家と田園、樹木が絶妙の山村風景であった。特に印象的なのものが屋根だ。藁ぶきの面影を残す、朱赤の屋根が点在する中に、鮮やかな青色の屋根がとても際立っている風景は偉観であった。壮観なパノラマに迎えられた高揚感に胸を躍らせながら集落を歩いていると、そこかしこ湧き水が流れていることに気づいた。水の流れる涼やかな音色は真夏のうだるような暑さを忘れさせ、私たちは涼しさを感じながら探検を続けることができた。分布する家々を見て、少し歩くと棚田を眺められる場所に出た。山の斜面に棚田が並ぶその景色は、まるで緑の階段。目の前にあるこの青々とした棚田…これは写真だけじゃ伝わりにくく、直接見に行くことで言葉にできない程の感動であった。春には田んぼに水をはるので、雲の無い青空が水面に反射し、秋は収穫前の稲穂が風に揺れ、金色の波うつ海のようなのだろう。頭の中に風景が思い浮かぶ。

 一通り集落を探検した私たちは、夕食後集落の方々との話し合いを行った。気の良さそうな集落の方々が 1 人また 1 人と集まり、いつの間にかアイスブレイクとでもいうべきおしゃべりが始まった。私たちの出身地などを聞いてくる中で十日町出身のゼミ生に歓声が上がる。なんか気恥かしい気持ちがして、でも、受け入れてくれようとしてくれている集落の方々に感謝だった。話し合いの中で、事前情報から得た知識を元に集落活性化の企画案の説明をした。最初の反応はあまり良いものではなかった。SNSを駆使した広報戦略や、販路拡大のために考えた万代シテイ商店街でのマルシェなどへの反応が「よくわからない」「大変そう」だったことに戸惑った。


 「何が悪いのだろう」考えた結果SNSを駆使することによる効果や、マルシェを行う時の私たち学生のフォローがどの程度か、などが伝わらなかったと結論に達した。プレゼンテーションの難しさを痛感すると共に、伝えることのできない自分たちが歯痒かった。何とかわかって欲しいと考え、集落の方々にわかりやすく、かつ集落の事情もできるだけ取り入れ、2 日目の会合に望んだ。しかし、反応は全く変わらない。やはり、理解を得ることは難しいようだ。しかし、その日はそれだけで終わらなかった。集落のある方が「やるかやらないかは、俺らの意思だけど、補助金事業に応募したのはこの集落を変えたかったからじゃないのか。今何もしなかったら何も変わらず廃れていくだけだぞ。」とおっしゃったのだ。その言葉を皮切りに、集落の方々も眉間に皺がよった難しい顔から気合いに満ちた表情になり、今回の企画を実行する方向へと向かった。さらに、「私たち若手が頑張らなければならない」という65歳の田中さんの言葉から、私たちは衝撃を受け、より心構えが変わったのだ。


 その夜、私たちは外に出て空を見上げていた。満天の星空、美しい。星空に見惚れながら私たちは考えた。集落の方々に上手く企画を伝えることはできなかった。賛同を得ることもなかった。でも、集落の方々は「この若い連中が言っていることよくわからんが、何もしなければ変わらない」と考え、私たちと共に動いてくれる。私たちと共に動いてくれることに感謝し、必ず成功させると心に決めたのであった。
 

 そこから3ヶ月、何度も集落の方々と話し合い企画を現実のものへと一つ一つ積み上げている。ホームページが出来た今、最初の一歩がスタートした。最初提案した企画はSNSやHPなど、デジタルな企画だったが、集落の方と顔を突き合わせ話しているうちに、アナログの良さも新たに発見した。集落の方々のアナログで暖かい考え方と、我々のデジタルな考え方を融合させ、この企画を良いものに昇華できればと、今は考えている。

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